貨客船「かりゆし」










鳩間中森へ登るM先生






鳩間島

 鳩間島は西表島の北、5qの所にある、周囲4qの小さな島だ。公的な交通 機関としては石垣島から八重山観光の貨客船が週に2便のみ。非常に不便なとこ ろであるが、その分自然が残っている。鳩間島へ向かう裏技としては、毎日、向 かいの西表島から郵便船がやってくるので、それに便乗するという手も‥‥ある らしい。

民宿「丸大」
 今回の旅行プランを立てるのに、キーとなったのが、この鳩間島である。な んせ週に2便しか船がないわけだから、ここにあわせて周辺の島々をまわるプラ ンを組んでいかなくちゃならなかったわけだ。 宿が空いているか。民宿は3件 しかない。民宿『あおぞら』に電話。「工事関係者でいっぱいです」との返事。 ぴーんち!民宿『丸大』に電話する。「あいてるよ」よっしゃぁ!ということで 後のプランはトントン拍子に進んだ。

貨客船「かりゆし」号
 石垣からの船は、小さな貨客船で、貨物の隙間に人がついでに乗るという感 じだ。出発が30分近く遅れても何のアナウンスもないんだな。 動き出したと 思ったら、操縦室からなんか紐のようなものが、船の後方へ伸びていった。何な のだろう、何か採取しているのだろうか。 ほどなくして「かかったかかった」 と大きな声がした。どうやら釣りをしていたらしい。おいおいおい‥‥。

M先生登場
 屋外の長椅子でほか弁を食っていると、40歳代のおじさんが話しかけてき た。お盆すぎた この時期、離島を歩き回っているのなんて、学生か教員くらい のものだ。はたしてこのおじさんは理科の教員だった(オレと同じじゃないか) 。しかも大阪の教員だという(おおー)。しかもなんと同じ北摂の高槻というじ ゃないか(世間って狭いねぇ)。 このおじさんはMさんという。M先生は夫婦 で、よく鳩間島にリフレッシュにやってくるらしい。 宿泊先は‥‥同じ『丸大 』でした。こういう偶然っておもしろいねぇ。

丸大のオヤジは朴訥な人だった
 桟橋に迎えに来たのは、無精髭を生やした大柄で少し太っているオヤジだっ た。プロレスラーのスタンハンセンに雰囲気がちょっとだけ似ている。西部劇が 似合いそうな顔つき体つきなのだな。 M奥さんがいろいろ話しかけても、「あ ぁ」とか「そう」とかしか答えない。シャイなのか、めんどくさがりなのか。  丸大はこのオヤジ一人が切り盛りしている。このオヤジが作る飯を食うのかぁ、 とちょっと不安になったが、まぁ、普通だったと思う。 宿泊費は3食付きで4 500円(昼食を販売する店なり食堂がないので3食付きとなるわけです)。

鳩間島にも開発が
 『鳩間島は観光化されず、他の島に見られない、そのまますぎる良さがある (やえやまGUIDEBOOKより)』という所に惹かれた訪れたわけだが、残念ながら 開発の手が入りだしたようだ。この地方大手の八重山観光が力を入れているらし い。船着き場もよその島と同じようにコンクリート製の桟橋を作っている最中だ ったし、今まで無かった島の一周道路も作り始めているようだ。よそ者がどうこ う言う問題じゃないのは分かっているが、変なリゾート施設にだけはしないでほ しいと願うぞ。小さな島だけに、少し手を入れればガラリと変わってしまうとこ ろが恐ろしいのだ。
鳩間節‥‥鳩間中森
 
 沖縄民謡を代表する『鳩間節』は、鳩間島の中心・鳩間中森という高台から の眺めを歌ったもの。耕作に適さない鳩間島の人々は対岸の西表島へ船で渡って 耕作をしていた。けっして良い待遇ではなかったのだろう。この歌には、対岸の 船浦・上原の集落に対する揶揄が込められているという。

北のリーフ
 滞在中、あまり天気が良くなかったが、2度ほど北の端のリーフへ出かけた 。ここへ出かけるには、島の中心部の草原を抜けていく中央突破コースと最近作 られた島の西半周コースの2種類がある。小さい島なのでどちらを行ってもそう 時間はかからない。 小さな浜から100mほど腰の深さ程度の浅瀬が広がり、さら に進むと、3〜5mほどの深みがところどころに現れる。そこから先は外界に続 いているらしく、大きな魚もいる。私は見なかったが、同宿のM先生と横浜の美 術の先生は(教員ばっかだねぇ)、「サメを見た。」と言っていた。
      島の東で見つけた「廃車の木」



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