2023年春からバス通勤となる。

使用する阪急バスの通勤IC定期券は金額式の定期券であるため、阪急・阪神のバスであれば480円の区間が乗り放題となる。これを利用してチープなトリップをしてみようと思う。

 

さて記念すべき第1回はお花見の帰路である。往路は時間優先で阪急電車一本で出かけたが、帰路は酔い覚ましも兼ねて、南千里駅から豊中駅までのんびり乗っていくことにする。

 

阪急南千里駅→桃山台駅 吹田市内線11系統 220円

二停留所だけの乗車。ぽかぽか陽気の中、沿道の散り際の桜が美しい。

一つ目の停留所でWOOのTさん下車。2つ目・終点でMSさんと下車。ここで一人となる。WOOの活動を40年近くやってきたが、バスを降りながら解散という形は初めてだと思う。

さて終点・桃山台駅で小休止。コンビニでアイスコーヒーとスイーツを買う。バス待ちの間に飲食。

 

桃山台駅阪急豊中駅 豊中市内線30系統 220円

一転して始発から終点までの乗車。もともと豊中住みだったこともあり、色々な思い出がよみがえる乗車となった。以降、個人的な話が延々と続くが、歳をとると衝動を抑えられないものらしいので、開き直って書き連ねる。

 南町3丁目…

 高校生の頃、鉄道模型のレイアウトの基盤となるベニヤ板を購入するため、父に連れられ訪れた材木店があった場所。今と違ってホームセンターなど無かったから、材木は材木店で購入するものだったのだ。今は違う業種の店になっていた。

 近くの火葬場で、父も母も空へ送ったことも思い出す。

 東豊中五丁目…

 自転車を乗り回していた小~中学生頃は、このあたりまで活動範囲だった(まぁ都会の子ども?としては広範囲かと)。千里の西端の自宅から豊中駅付近に出かけた帰りは、坂を避けるために東豊中・南町・西町と大回りして帰るのが定番ルートだった。

 また二十歳頃、好きだった人が住んでいて、クルマで頻繁に訪れていたことも思い出である。あぁ、こんなことも書けるようなじじぃになったってことよ。

 東豊中小学校前…

 幼児の頃、東豊中の保育園に預けられていた。そこで一緒だった友人とは、小学校が分かれても、よく遊んでいた。竹馬の友というやつだ。彼からは鉄道趣味やプロ野球のことなど教えてもらい、今でも私の一部となっている。また別の保育園仲間の子のおうちは団地内で寿司屋をやっていて、お祝い事があるといつも出前を取っていた店だ。それとそれに引きづられるように出てきた思い出に、やはり保育園仲間の女の子がいて、当時どうやら将来を誓い合った仲だったらしい。その子が転園していって、どういうわけか中学校2年生の時に、私が在籍する中学校に転校してきた。親同士は連絡を取っていたらしく、私も事前に分かっていたのだが、そういうことがどうにも恥ずかしい年頃である。転校してきた子がクラスを訪ねてきたとき、つれない態度をとってしまった。そのことを一緒に付いてきた女の子に非難されたことも思い出した。そして翌年13クラスもあるのに同じクラスになった。そのときはもう他人として接するしかなく、いまでもほろ苦い思い出である。

 上野小学校前…

 小学3年生になるまで住んでいた新興住宅街には小学校が無かったのでバスで通っていた。帰りは歩いて帰ったことも多かった。冒険心というかヒマというか…。

 小学6年生になってこの近くにある塾に入れられた。今考えたら受験塾だったんだな…。完全に落ちこぼれていた。やる気の無い勉強は身につくはずがないのである。

 豊中高校前…

hdr  バスが終点だった時代があったらしく、バスの回転台の跡が未だ見ることができる。

 梅花学園前

 母の職場である梅花学園があったところ。小学校2年生までバス通学だったので、帰りに寄って帰ったりしていた。食堂ではおねーちゃん方にやたらとチヤホヤされた記憶が。まぁそりゃ女子校の中に小さな男の子が混ざったらそうなるわな。

 近くのマンション(当時は珍しかった)の友人宅に行ったことがあり、算数の宿題をやっていた時、その子の母がやってきて私の計算をやたらと褒めてきた。私を褒めたというより、対照として私の友人を叱責していた、よく言えば励ましていたわけだ。子供心にもそれは読み取れて、居心地が悪かった記憶がある。

image アレルギー性鼻炎の治療のため近くの耳鼻科に通っていた。帰りにバス停近くの売店でヨーグルトキャラメル(みかん味)ってのを好んで買っていた記憶があるのだが、検索しても出てこない…。勘違いかな。

 豊中本町8丁目…

 6歳まで住んでいた町。蔵や池のある庭がある豪邸の2階4部屋を間借りして住んでいた。

 雨漏りしたり、大家さんの子と遊んだり。ごめん、いじめて泣かせた記憶も蘇ってきた。

 市場前…(現存しない)

 いまだに路地で魚を売っていた光景が目に浮かぶ。

 中学~高校生の頃、商店街にあったレンタルレコードの店に通っていた。よくぞ自転車のかごにレコード盤を載せて往復していたものだ。

写真を本格的にやるようになった高校~大学のころは写真屋さんによく出入りしていた。相手をしてくれていた若主人も今はいい歳だろう。

 

すまん、本当につれづれと思い出語りをしてしまった。このあたりが私のルーツであるということを再認識させられた旅であった。

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