一日目は7月末の日曜日。週末にしか運行のない全但バスの「たじまわる」に乗車する。「たじまわる」はテーマに沿ったバス停を半日かけ来て巡るツアーバスで、所定のバス停でも乗降することもできる。今回は「鉱石の道」号という魅力的なテーマに惹かれて乗車を決めた。但馬地域の生野銀山/神子畑精錬所/明延鉱山(錫)などを巡る旅である。
事前に電話で問い合わせ、日時/乗降バス停を指定しておいた。
出発は川西池田駅。今回使用する「ひょうご夏の体験デジタルパス」は自由乗降区間のJRはICOCAを利用する。私にとって初めてのICOCA、スマホのアプリであるデジタルICOCAにしてみた。まずは福知山へ向かう。
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♪初・め・て・の…ICOCA |
福知山行き |
黒井駅停留の保線車両 |
特急待ちの黒井駅で改札外へ出てみた。フリー切符を持っているという意識があるので、息をするように無人の改札を通り抜けてしまったが、これはアウト。ICOCAで下車手続きをしなくてはいけなかった。このときは知るよしもなく。
福知山駅は、広い平地の構内を長い跨線橋でホームを移動するってイメージだったので、高架の立派な駅になっていて驚く。平成の期間に利用したことがないのかイメージが昭和のままだった。待ち時間で改札外に出ようと思い駅員さんに尋ねて、初めてICOCAには途中下車という概念がないことに気づかされる。そりゃそうか。まぁ旅程を細切れにした方が、WESTERポイント的には貯まるから、黒井でも福知山でもいったん出場した方が良かったのだが…。
特急「きのさき1号」に乗る。次の停車駅である和田山までたった1駅の乗車である。この特急に乗らないと「たじまわる」乗車にギリギリになりそうだったため特急券を奮発。料金は前日チケットレスで購入したので500円。デジタルパスのキャンペーンがあって、この区間で特急に乗ると500円返ってくる。実質0円である。
さて実に5年ぶりにJR線の特急に乗る。5年ぶり…自分でもオドロキだ。本当には本当に鉄道マニアなのか…と
福知山と和田山の県境に夜久野町がある。いまだにキダ・タロー先生の「夜久野そば」のCMが耳から離れない。歌詞も秀逸やね。作詞は誰なのだろう。
♪夜久野高原にいらっしゃいませんか いつも空気が澄んでいます
仲良く食べるそばの味は また格別のうまさです
そこで一句書き添えます ふるさとの 味と香りや 夜久野そば~♪
和田山駅到着。駅前の街並には昭和感が残っている。駅舎はこじんまりとしていて福知山駅とは対照的である。給水塔や機関車庫を含む広い構内跡が残っている。
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5年ぶり特急/特典で実質無料 |
和田山駅/たじまわる乗車券 |
バス停/竹田城(車窓見学) |
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さて、「たじまわる」乗車である。超ベテランのガイドさんからパンフレット類をいただく。竹田城は車窓で見学。
生野駅で最後のお客さんを乗せてバスは生野銀山へ。私は3年前に訪れているのでパスし生野町内を散策するために井筒屋バス停で一人下車。
採鉱された鉱石を精錬する役割で発展した生野(銀山町)の街中が保存されている。口銀谷(くちがなや)銀山町ミュージアムセンターは、この地域の旧家を公開している。広い日本家屋は風通しが良い。奥にある洋館ともつながっている。
明治の初期に生野銀山が国営となったおり、海外の技術者を招聘して、姫路の飾磨港から生野銀山まで、馬車専用道路を敷設した。国内初の舗装道路で「銀の馬車道」と呼ばれている。20年ほど後、飾磨港から生野駅までは鉄道が敷設され、生野銀山との間は軽便鉄道で結ばれた。その線路跡が、口銀谷に残っている。
ミュージアムセンター脇から市川沿いに軽便鉄道跡を歩く。軌道幅は500mm、これは坑内軌道と同じ幅である。川縁の土地にアーチ状の石積みなどで軌道を確保している。街中に入ると線路跡はなくなってしまうが生野駅まで続いていたはずである。
生野駅に戻る途中でスーパーを見つけたので、昼食を購入し、駅の軒先で食べる。
生野銀山観光を終えた「たじまわる」に再び乗車。次は神子畑選鉱場跡へ。途中の神子畑鋳鉄橋は全国に3番目に古い鉄橋であり、全鋳鉄製としては日本最古の橋である、国の重要文化財に指定されている。
さて神子畑選鉱場であるが、ここは元々は生野銀山同様に銀や銅を産出する鉱山であったが、大正時代に廃山した。しかし明延鉱山から掘り出された錫などの鉱物の選鉱場として、新たに栄えることとなった。夜を徹して稼働し、規模・産出量ともに「東洋一」と謳われ、鉱山時代より栄えたとのこと。
明延と神子畑は、今回「たじまわる]乗車で訪問したが、普通に谷沿いの道路を通ると今でも1時間以上かかる。しかし直線距離はわずか5kmである。この2点を結ぶ「明神鉄道」が昭和2年に完成、明延で採掘された鉱石がどんどん神子畑へ運び込まれ、選鉱され、現在の播但線で飾磨港に運ばれ、専門の精錬所へ送られるという流れが完成した。錫だけは生野で精錬まで行っていた(現在も錫の精錬所として稼働中)。なお明神鉄道は鉱石の搬送が主業務であったが、職員や家族のための人員輸送も行い、1円で乗車できたことから「一円電車」と呼ばれていた。
採石された鉱石は山の上から谷に向けて段状になった施設を経由しながら細かく選鉱されるようになっている。一番下にある濃縮脱水装置であるシックナーが目を引く。
簡単な散策時間の後、「たじまわる」は山向こうの明延へ1時間以上かけて移動。
まず明延鉱山探索坑道の見学申し込み(1200円)をしてから、一円電車乗車体験へ。この日は2024年に13回しか行われない乗車体験ができる日であった。一円電車ひろばの入場料は大人300円(中学生以下1円)、この中に電車乗車賃1円も含まれる。何度でも乗車できるが、かなり狭いので正直一度乗れば十分だな。
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一円電車ひろば |
150mの円軌道 |
1周2分、2周する |
その後、バスで少し移動して、探索坑道の見学へ。
地元の方の案内で坑道内へ。奈良時代の東大寺大仏鋳造のため銅を献上したと伝えられている。その後、明治時代に生野を中心とする政府直轄地となり、明治後期に三菱財閥に払い下げられた。先に書いたように神子畑鉱山跡とセットで、明延で産出、明神鉄道で搬送、神子畑で選鉱というコンビナート構造ができあがった。
明延鉱山は銅や銀なども産出していたが、メインは錫である。国内の90~95%を産出した鉱山なのである。
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坑道入り口、トロッコ線路跡 |
説明を受けて入抗 |
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江戸時代の採鉱のあと |
トロッコ跡と右側が圧縮空気のパイプ |
圧縮空気は機器の動力や換気に用いる |
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露天掘り時代のトラック 分解してエレベーターで運び 組み立てて使用したとこのこと |
坑道内の涼しさを利用して、 1年間熟成させる明寿蔵 熟成酒「明延」となる |
外にでると真夏の熱気 |
ヘルメットをつけて、地元のボランティアの方の案内で坑道内の見学・学習をする。入抗前に長袖を着ることを勧められる。坑内は年間を通じて10~14度なので、坑外との温度差は20度以上になる。ウィンドブレーカーを着ていても涼しく感じた。
基本、鉱物が取れる鉱脈は、地層の亀裂にそって湧き上がってきた熱水に含まれる鉱物が固まったもので、熱水鉱床という。江戸時代は見つけた鉱脈に沿って手掘りしていた。明治になって、爆破によって横方向へ鉱脈まで掘り進めていき採掘する方法へ、さらに時代が進むと、地下に大空間をつくり一気に運び出す方式(露天掘りの地下版)へ変わっていった。時代が進むごとに深度が深まり、最終的に1000mの深さ(海面下130m)まで採掘していた。
昭和62年に円高が原因で閉山となったが、まだまだ資源としては残っている状態とのこと。
このように時代ごとに多様な採掘方法を見学できるのは稀有である。またガイドさんの説明が非常にわかりやすく、理解が進んだ。地元の顔役さんとのことで、地元愛からボランティアになり、色々学習されているとのこと。
1時間の坑道見学はたいへん学び深いものとなった。これまで何カ所か坑道見学をしてきたが、ここが一番と思う。
「たじまわる」はその後、道の駅「ようか但馬蔵」に立ち寄り、八鹿駅、和田山駅へとお客さんを降ろしていった。
このバスツアー、テーマに沿ったルートが秀逸なのと、運行と車内ガイドに専念し立寄り地の観光は客に任せるというスタンスが良い。そして半日あちこち連れて行ってもらって500円は激安である。車内でアンケート記入があって、何円までなら納得できるかという項目があった。おそらく現時点はこういう運行形態のリサーチ期間なのであろう。
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和田山駅構内 |
機関庫跡 |
福知山 国道沿いのカプセルホテル |
「たじまわる」下車後は、福知山へ戻り、安いカプセルホテルに宿泊した。