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連休最終日、買い出し先で見つけた丸のままのハマチ。
捌いたことはないが、250円なら失敗してもあきらめられる金額だ。
ということでチャレンジ!
で、家に帰って、ネット動画で捌き方を学んで、にわか調理師誕生!
で、次の写真が
刺身予定が切り落とし集の出来上がり。
ムリだった。頭を落とすまでは何とかできたのだが、中骨に包丁を入れることすらママならず、3枚におろせなかった。ザク⇒刺身なんてとうてい無理ムリ。
ということで作戦変更。
もう場当たり的に背骨から身を切り離すことに。
切り離した身から皮を剥ぎ、可能な限り小骨を取り除き、小皿一枚分の切り落としを集めることに成功。200gくらいか?
残りのあらを赤だしにでも入れれば大名汁になったろうが、戦意喪失ですわ。ケガしなかっただけ良しとしよう。
これまで、各種カニ・生きた車エビ・イカ・殻つき牡蠣などと格闘してきたが、敗北感一番という今回のチャレンジだった。
15:20 下山開始(標高3715m)
ざくざくとブルドーザー道兼用の下山道を歩く。私は前回と同じく右膝が痛い。また下山は足先に体重がかかるため、皆同じようにつま先が痛いようである。昨年考案?した後ろ歩きを勧める。近くを歩いていた登山グループのリーダー格の人も「これが意外と楽なんですよ」と話しながら後ろ歩きをしていたから、そんなにイリーガルな歩き方でもないのかもしれん。
(下中写真)ピンク色のウェアが下娘、登っているように見えるが、後ろ向きに降りている。写真を撮っている私も後ろ向きである。1時間足らずで須走・吉田ルートの分岐点(標高3270m)、八合目に到着。
八合目以降も基本は幅の広いブルドーザー道の下山道である。どんどん高度が下がり、太陽が頂上側に隠れていく。
17:20 七合目(標高2920m)
ここから砂走り下山道が始まる。走コースの楽しみの一つだったはずなのだが、期待が大きすぎた分、失望した。失望した理由は、砂の中に岩が多く含まれていて安心して走れないこと、コースの幅が二人が横になれる程度しかないことだ。これではスピードが出すぎたときに、けがをしないか心配で思いっきり走ることはできない。さらに前日雨が降ったことで砂の抵抗も大きいことも原因であろう、真剣に飛ぶように体重を預けるとブレーキが掛かり、つま先や膝に大きな負担がかかる。この砂走り区間、皆、思うように下れず、後ろ歩きを併用して普通の歩きで下ることになった。けっきょく踏破するのに1時間20分もかかった。ガイドブックの標準タイムは1時間15分とあるので、まぁ普通なのだろうが、つま先の痛さに日暮れへの焦りも加わりけっこう長く感じた。コースタイムでは50分と書いてあるが、これは本当に条件が良く走ることができた場合の時間のようだ。
御殿場ルートの大砂走りと比べると、同じ「砂走り」と呼ぶのが失礼なくらいの違いでたいへん残念であった。
18:40 砂払い五合目(標高2300m)到着この山小屋は18:00までで、到着したときは人の気配すらなかった。完全制覇記念焼印の文字がむなしい。
さて、ここで試練というか、準備ミスからたいへんな事態になってしまった。はじめに書いた準備物の項で「たいへんなものがチェックされていない」と書いた。まもなく午後7時、もうおわかりであろう。懐中電灯を持ってき忘れてしまったのである。私の分のヘッドライト一つしか無い状態で夕暮れを迎えてしまったのだ。
陽はとうに富士山の向こう側である。空はまだ明るいが、樹林の中に入ってしまうと薄暗い。富士山の登山道で唯一の樹林区間がある須走ルートだけに、日暮れ対応は必須であったのに忘れてしまい、さらにその時間帯にまで下山が延びてしまった。たいへん危険な状態である。
砂払い五合目のあと、しばらくはブルドーザー道を下山できる。このまま下山できないものかと淡い期待を抱いていたのだが、残念ながら途中でブル道に通行止めのロープがかかり、樹林コースに誘導する標識があった。
安全のことを第一に考えるなら、このままブル道を下山するのがベストである。だが調査不足でこのブル道が登山口近くにつながっているという確信が持てなかった。これまた失敗なのだが、GPS機能のあるタブレットを持っていたのだが、電池が切れていると思い込んでいてその場で確認することもしなかった。コースタイムではおそらく登山口まであと30分、空は明るいし、まだ道も目視できる。だいぶ逡巡したが、後にも下山者がいることを頼りに(後から抜かれてしまうのだが)、コース通り樹林帯の下山道を行くことにした。
失敗であった。樹林帯に入って10分も歩かないうちに本当の日暮れ。完全に闇の森の中となった。
一つのヘッドライトを頼りに、私が5m進んで、後ろの家族の足もとを照らし、追いついたら、また5m進み…の繰り返しとなった。木の根のでこぼこ・岩場の高低差もあり、困難を極めた。そんな中で家族の誰もパニックになるでなく、懐中電灯を忘れた私を非難するでもなく、木の根や浮き石の情報を伝達するなど協力して下山できた。塞翁が馬と言うが、普段の生活では感じることの少ない家族の絆というものを確認する機会となって良かったと思う。下っていく中で、「下山道」と書かれた小さな標識がたくさんあったことと、登山者や自衛隊の隊員(訓練なのだろうか)の集団と何度もすれ違ったことは心強かった。少なくとも道は外していない。いずれたどり着くことができるという安心感である。それと登山口に車が待っていることも心強かった。もし麓からシャトルバスで上がってきていたら、バスの最終時刻も気になっていたはずである。ということで牛歩の歩みではあるが、着実に安全に下山することを心がけた。
そんな状態で30分は歩いたであろうか、ようやく視界が若干開け、古御岳神社まで帰ってきた。やれやれである。行きと同様に社殿の扉は閉まっていたが、無事に帰って来られたことに感謝して手を合わせた。
その後は薄暗い中、登山口へ続く幅の広い参道を家族4人が横になって、小さな段差を声を合わせて軽快に降りていった。
19:45 須走ルート五合目(標高1980m)着
お土産屋さんで椎茸茶をいただいて一息つく。
無事生還できたことがもっとも嬉しく、家族全員で富士山に登頂して、お鉢巡りもしてきたってことを忘れるくらいであった。
12:05 須走ルート頂上(標高3715m)
須走・吉田ルートの頂上には、神社や山小屋4軒が並ぶ。頂上は割と平坦な土地があるのだ。観光地のようで写真のように自動販売機もある。
まずは久須志神社で「富士頂上」「久須志神社」の朱色の刻印をもらう。また下娘に学業のお守りを買う。富士山の頂上なら霊験もあることだろう。上娘には今春に北野天満宮のお守りを買っているので「神様がケンカしたらあかんから買わんよ」と言うと納得する。素直である。
その後、山小屋のひとつ「山口屋支店」に入り昼食を取る。ここのしるこはカップしるこではなく、鍋で作っているらしい。まともな味がした。
「このあと剣が峰まで行くか?」と問うと、上娘が積極的な答え。時間的にはぎりぎりだが、天候・体力・気力ともに十分なら行かない理由はない。
山小屋の並ぶ平坦な道を歩きだす。トイレと下山道を左手に見て、右側に火口を見ながら(時計回りの)お鉢巡り開始である。
先にも書いたが、流れる雲の中にいるらしく、青空が見えたと思ったら、霧の中に入って視界が悪くなったりと天候がめまぐるしく変化する。それでも雨に降られることもなく、直射日光に灼かれることもなく快適である。
20分ほどで御殿場ルート・富士宮ルートの頂上(どちらも標高3730m)に達する。富士宮ルートの頂上には浅間大社奥宮や郵便局があるが、特に用もないと言うことなので、裏手のトイレだけ利用する。ちなみにこのトイレは日本一高い位置にあるトイレと言うことになる。
さて剣が峰に向かう。ここは昨年は私一人で通った道である。今回は家族全員で歩けることに喜びを感じる。
さぁほどなく馬の背…(下左写真)、並んでる…。最初は手すりを使う人が数珠つなぎになっているのかと思ったのだが、これは頂上の碑の記念撮影待ちの行列だったのだ。斜度20度と言われるこの坂の途中で止まるのもなかなかしんどい。ストック・金剛杖をしっかり立てて姿勢を保持する。
待つこと30分…この時間は想定外でもったいなかったが、ようやく念願の「家族全員」での富士山山頂である。写真は普段は私か下娘が撮ることが多いのだが、山頂では近くの人が交代で写真を撮るようなムードがあり、気兼ねなく写真を撮ってもらう。めずらしく家族4人が写っている写真である。
14:05 剣が峰(標高3776m)出発
右手に火口、左手には大沢崩れを見ながら、どっちに飛ばされてもアウトやなぁ、などと言いながら進む。WOOのSさん、強風の中をよくご無事で…。ちなみに火口(大内院)の深さは約240m、底に小屋のようなものが見える。
登山道は雷岩を正面に来ると右手に曲がる。曲がった左側には小さな火口(小院内)が見え、ほどなく右手火口側に金明水の碑が見える。このあたりがWOOのSさんが彷徨した場所のようだ。視界が悪く他の登山者もいないとさぞかし不安だったことだろう、と想像する。
お鉢巡り後半は火口南壁が見える。南壁は日当たりが悪いので万年雪がこびりつき、崩れた土砂が万年雪を黒く汚している。
14:45 須走・吉田ルート頂上に戻る
約2時間。お鉢巡りに2時間かかることは想定内だったが、これから下山するにしてはやばい時刻になってきた。
しかし休憩・身支度のため、もう一度山小屋で食事。この時刻になると頂上の山小屋は食堂や売店を閉め始めていて、最初の山口屋支店には入れず、隣の扉屋を利用。ここのしるこはカップしるこだった。うーむ。下山グッズであるマスクやスパッツを装備、安全めがねも取り出しやすい位置に置き、靴紐を締め直して準備完了
15:20 下山開始
二日目、いよいよ登頂の日である。
4時前に起床(小屋のおばあさんに起こされた)、みな元気である。良かった。
4時には朝食、メニューは鮭の切り身・オムレツ・野菜サラダ・キュウリの浅漬け・味噌汁・ごはんである。
4時30分 小屋前でご来光待ち。
山中湖の向こう、雲の切れ間から、太陽が姿を見せた。同宿の雑誌取材班も当然ながらご来光を撮影していた。久々に中判カメラを見た。
5時30分 本六合目「瀬戸館」出発
このあたりが森林限界で、まだ低木や草はあるが、溶岩や砂礫が卓越してくる。朝日が蒸発させるのか、雲が減ってきた。天気が良くなりそうである。出発30分で防寒具のレインウェアを脱ぐ。
「二十六夜月待」とは、十五夜と同じように二十六夜(新月前の逆三日月)の夜間に集まる信仰行事らしい。登山の安全祈願か、登山者が多量の鈴がかけており異様な感じがする。
6:50 7合目着
標準タイムぴったり。良いペースだ。
7合の太陽館は「焼印はおまへん」「焼き魚定食 ギョギョうま!」などユーモアあふれる看板が特徴?のようだ。
7:10 7合目出発
7合目が標高2920mなのでほどなく3000mである。
このあたりから頂上までの間、雲の中に入ったらしく、日が陰って急に寒くなったと思ったら、風とともに雲が移動して視界が開け、青空が見えて暑くなったりと,天候がめまぐるしく変化していった。
ほぼ標準タイムどおりで登っている。カロリーメイトの袋が張り裂けんばかりに膨れあがっている。
8:35 本七合目出発
岩場の階段を登ったりブルドーザー道兼用のザレ場を上ったり。ザレ場は前日の雨のせいか、砂が適度に水分を含んでおり、あまり沈み込むことも滑ることもなく歩くことができた。
標識は須走口と吉田口の下山道の分かれ道(標高約3330m)。この時点でうちの家族は最高地点更新である。この標識から少し上れば八合目である。
9:05 八合目「下江戸屋」到着
ここで山小屋で休憩、カップしるこ等を食す。
9:35 八合目出発
ここはWOOのSさんが6年前に泊まった山小屋である。同じような時間帯から上り始めて、一気にここまで登ってくるとは、まったくもって恐れ入る。
さてこの山小屋では元NHKアナウンサーの方が泊まり込みで山小屋の様子をニコ動で配信されておられた。われわれも映ったかも知れないが、見るすべも無し。
胸突江戸屋を北側に回るように進むと、吉田ルートのトモエ館がある。ここからは登山者の56%が利用する吉田ルートと合流した共通ルートとなり一気に登山者70%の混雑ルートになる。しかし我々が登ったのは平日、しかも前日は雨、さらに頂上でのご来光待ちと朝イチで登ってくる登山者のちょうど間隙である時間帯だったので、特別に混んでいるとも思わなかった。
登山グループがいくつも歩いていたのは、さすがメジャールート。年配のグループも多く、指導者のあとを実にゆっくりと、小幅な足取りで、しかし休むことなく登る姿に感心した。けっきょく我々の家族グループは、休み休み登るので、山小屋の大休憩で年配のグループに追いつかれたりした。
七合目から上は山小屋が頻繁にあり良い目標となる。疲れているだけに目標が見えているというのは気分的に楽である。吉田ルートは最初からずっとこんな感じなのだろう。富士宮ルートや御殿場ルートでは考えられない気安さである。
さて、そうは言っても、標高が上がるほど勾配が急になる富士山では、ここ八合五勺が登山道では最後の山小屋である。ただ水も食料もあるので、焼き印・トイレだけ済ませて出発。
10:50 八合五勺出発
錆鉄色のザレ場をひたすら登る。
11:20 九合目到着
九合目は鳥居と山小屋跡だけ。
鳥居には小銭が無数に差し込まれており、若干気持ち悪い。
12:05 須走・吉田ルート山頂 到着
特に高山病の症状も、たいした疲れも感じないまま登頂に成功。家族全員で登れたことが今年の成果である。旅行前の予定表では山頂12:00の予定だったので、ほぼ予定通りと言うことになる。
最後の一段は家族全員で足を揃えて「せーのーで」で上った。
この日は天気が悪く、小雨が降っていたので、レインウェアを着込んでの出発である。富士山保全協力金の試行が始まっていたが、悪天のため「本日中止」とのこと。一人1000円としたら4000円。シャトルバス代といい、覚悟していた出費が抑えられてラッキーである。その分、上の山小屋でお金を落とすことにしようと思う。
ちなみにこの協力金との引き替えにバッジがもらえるのだが、それがヤフオクで高騰、20000円越えで落札されていた。サクラ入札かも知れないが、もしかして機会損失したのか???
登山道に入ってすぐに古御岳神社(こみたけじんじゃ)。全員の無事と登頂をお祈りする。
溶岩流の跡は高い木が少なく、風を強く感じる。
コースタイムは1時間、ガイドブックの標準タイムが2時間だから、小雨と風の中をほぼ標準タイム通りに歩いたことになる。
強い日差しや強烈な登りではないことが幸いしたのかも知れない。
ここで大休憩。山小屋に入りしるこやおでんなどを注文する。この山小屋には乾燥室があり、ぬれたレインウェアや手袋などを乾かすことができたのは嬉しかった。
15:30 新6合目出発
だんだんと背の高い木が少なくなってきた。そのせいか、天候の変化か、風が強く感じられるようになった。
後で聞くと相棒さんは「しんどかった。けど目標がすぐだったから登れた」とのこと。
さて、今回の宿泊先:瀬戸館は、不人気・須走ルートの、さらに需要の少ない低位置(2680m)にある山小屋である。5月に予約を入れ、7月初旬に日程変更をした際、変更元の日付を言っただけで「あぁ○○さん」と特定されたので、その時点でうち以外は予約がなかったのだろう。1年前から予約を入れないといけないと言われる吉田ルートとは雲泥の差である。そしてこの日、実際に宿泊したのも、うちの家族4人と雑誌の取材グループ3人だけだった。ものすごい穴場だ。
・二食付き7500円・週末は+1000円(標準的)
・宿泊者のトイレ・焼き印無料
・夕食のカレーやごはん・ミネラルウォーターなど無料
・この日は夕食・朝食の際、手作りのナスの煮物などを振る舞ってくれた。
・寝床は蚕棚風で一人部屋があるのが特徴
この日は空いているとのことで、上下の4人部屋を割り当てられ、一人で2人分を使う贅沢使用となった。手足を伸ばしたり寝返りを打ったりしても平気である。
天気は徐々に良くなってきて、青空も覗くようになってきた。が昨年のような影富士が見えるわけでもなかったので、早々に寝ることにした。夜中、外にあるトイレに出たが、夜間登山で登ってくる若者のグループが小屋前で休憩をしていた。一緒になって星を眺めていたら流れ星が見えた。「おっ」と思わず声を出したら、若者の一人も気づいたのか「今流れましたよね」と同意を求めてきた。こういう地味な出会いというのも乙なものである。
一日目終了
さて、今回の富士登山のルートは須走ルートである。
前回の高山病体験を経て、今回は低い山小屋で一泊・翌日登頂というプランを考えた。
ルートとしては激混み・吉田ルートは避けたかった。
今となっては世界遺産登録の影響で登山客が殺到らしく論外である。
御殿場ルートは低い位置に山小屋がないし、そもそも家族で利用するルートではない。
富士宮ルートは練習登山も含め、2度体験している…。
消去法的に須走ルートルートが浮上した。また子どもたちが砂走りをもう一度体験したいと言っていたのも須走ルートに決定する要因となった。
ということで須走ルート本6合目の「瀬戸館」に五月中旬に予約を入れた。
ちなみに須走ルートの特徴は、
・6合目あたりまでは樹林地帯を歩く唯一のルートである
・スタート地点(5合目)が標高1980mと低く、距離も長いため人気がなく(利用者14%)、空いている。
・下りは砂走りの区間がある。
・本8合目で吉田ルートに合流するので、時間帯によっては渋滞する。
今回は標高の低い本6合目(2630m)で宿泊するので、寝ている間の高山病を避けることにした。またご来光も山小屋で見てから出発することで、吉田ルート合流後の渋滞を避けることにした。
さて、御殿場ICに9時前に到着、須走ルートのシャトルバス乗り場を目指したが、5合目に向かう「ふじあざみライン」に直接入れてしまった。「ふじあざみライン」の規制は昨年よりも緩くなっていたのだが、調査不足であった。言い訳をするようだが、旅行前日まで39.3度の発熱を伴う風邪を引いていて、前日まで旅行を中止するか悩んでいた状態だったのだ。まぁそれまでに調べられなかったわけではないので本当に言い訳なのだが。10時に5合目の無料駐車場にも無事駐車できた。ちなみに宝塚からの距離は440km。
車で5合目まで入ることができたのは、荷物や時間短縮のこと・シャトルバス代のことを考えると本当に嬉しい誤算であった。
駐車場から5合目のお土産や通りに向かう途中ではシカのお出迎えがあった。
お土産屋で昼食・金剛杖を買う。
5合目の焼き印には早速「世界文化遺産」の文字がある。
富士山一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿
というらしい。一度登れば十分な山ということだろうか。
昨年は家族で8合目まで登った。その後、高山病の家族を残して私一人登頂した。
家族旅行としては十分かと思っていたが、上娘はどうも悔しかったらしく、もう一度行きたいという。
ということで、今年はリベンジの富士登山である。
7/29(月) 早朝出発。毎度の新名神+第2東名で御殿場ICへ。須走ルートで登山開始。本6合目・瀬戸館泊。
7/30(火)家族全員で登頂、さらにお鉢巡りもして、下山。御殿場のビジネスホテル泊。
7/31(水)富士「樹空の森」見学、帰路につく。
出発前の大まかな行程表である。まぁこの通りに行ったかどうか,このあとをごらんあれ。
登山の予定を組むとき、パンフレットにあるコースタイムより、雑誌に載っている標準タイムの方が現実的である。うちはさらに標準タイムの1.5倍以上の時間を取っている(ただし山小屋での休憩も含んでだが)。標準タイムよりさらに多めに取っているわけだ。
そして持ち物チェックリストである。実はたいへんなものがチェックされていないのだが…。おわかりになるだろうか。
OH!WOO!!創刊壱万日事業の一環として、万善に行ってきた。万善とは職場のある猪名川町の地名である。毎日職場の往復で通っている場所であり、校区でもある場所だ。道の駅があり、猪名川町随一の観光地・屏風岩もある。
珍しく何も予定のない休日、気温も上がりお出かけ日和だったこと、以前から屏風岩については調べてみたかったこと、相棒さんが万善にある喫茶店の噂を聞いて行ってみたいと言っていたことなど、条件が揃ったので、急遽昼から出かけることにした。
宝塚の自宅から30分ほどで到着。ちなみに交差点名は万善だが、バス停名は「川床口」である。「万善」バス停は600mほど北にあるので、お出かけの際は要注意だ。ちなみにその「万善」バス停前の鶏屋さんが夏の恒例・ビール宴会の時に買ってくる地鶏焼き鳥の店である。
普段の通勤時には開いていない道の駅だが、さすがに好天の日曜日、駐車場も車がひしめき、賑わっている。花衣ブランドの地酒やイノシシ肉入りはるさめなどの特産物を眺めた後、ジェラードを買って食べる。ここのジェラードは3年前に娘2人を連れてきたとき好評だったものだ。今回もダブル380円を2つ頼んだが結構な大盛りである。しかもおまけで違うフレーバーのものもひとさじ付けてくれる。店の横にあるベンチに腰掛けて食べる。雲一つ無い青空・畑のにおいがしてツバメが行き交う。なんとも悠長な時間である。
右は猪名川町のマスコットキャラクター・いなぼうだ。
2012年ゆるキャラグランプリでは308位という微妙なポジション。
道の駅には「そばの館」もあり、ここでは十割そばが味わえる他、そば打ち体験もできる。
さて、本日の第二目的地は、道の駅から「万善」交差点を渡った先にある「Cafe Manna」。
ちなみに猪名川町役場の近くには「まんか旅館」というおそばが有名な旅館もある。「万善」、「manna」、「まんか」と猪名川町は「まん」づくしである。
ここのカプチーノは
こんな風に細工が施されて出てくるのがウリらしい。
まぁ砂糖も入れずに飲んでいくと形も崩れず…
最後に家族を置いて1人屏風岩へ出かける。
登り口があったので登ってみた。木々が生い茂り、川面はほとんど見えないが、川遊びをしていた人たちの声が近づき、しばらくすると真下に聞こえるようになったので、ほぼ川に沿って登ったのだろうと思う。途中に赤い鳥居の並ぶ祠があった。お稲荷さんだろうか。
さらに登ると屏風岩の裏手に建つ今井病院の敷地に出る。ここからも川に近づく野道を行ったのだが、途中から藪となり、おそらく崖上になるはずなので、引き返した。
約1時間の散歩であった。
万善滞在時間、やく2時間。1万秒(2時間46分40秒)だと良かったのだが。
___[朝の散歩 少しの間だけ妙高山が赤く照らされた]
___[出発まで1時間あまり 雪遊び]
___[放置しておくと危ないので、作ったかまくらをつぶす]
ペンションを出発後、温泉施設に立ち寄り身体を温める。その後、妙高高原駅へ移動してお土産購入。ここでチェーンを外す。
そして野尻湖に移動して博物館を見学し、昼食を取って、信濃町ICから高速に乗る。まぁここまでは非常に順調だった。
しかし予報よりも早く天気が崩れはじめ、長野道あたりから雪が降り始める。そして中央道に入る前からチェーン規制がでる。みどり湖PAで再びチェーンを着ける。チェーンの制限で50キロ程度しかスピードが出せないのだが、まわりの車はみなスタッドレスタイヤなのだろう、雪のないトンネル内はばんばん飛ばしているので、左端に寄ってなるべく邪魔にならないように走る。
中央道に入るとさらに雪が増える。チェーンの凸凹が吸収されるのか、むしろ走りやすくなった。まわりの車も車速を落とし、50キロ程度が普通になる。
さて、中央道のチェーン規制は、恵那山トンネルを抜けた中津川ICまで続く。日本で5番目に長い8.5kmもあるトンネルをチェーンを着けて走るのは苦痛だなぁ、と思っていたら、トンネル前でチェーンを外す指示が出る。雪の量もかなり減っていたので、指示が無くても外して走ろうかと思っていたのでちょうど良かった‥‥。
と思ったら恵那山トンネルを抜けたところで、再びチェーンを着けるように指示が。しかしトンネルを抜けた側には雪はないのだが‥‥。先の指示はチェーンでトンネルの路面を痛めさせたくない、という思惑なのか。仕方なしにみぞれの中で2度目のチェーン装着。しかし、これは全く無意味だった。このあとはどんどん標高が下り、ついに路肩にさえ雪が無い状態に。夜が更けてくると凍結の恐れがあるということで早めのチェーン規制だったのだろうが、もうすこし弾力的に運用していただきたいものだ。
まぁトンネル出口のチェックは自己申告っぽかったので、スタッドレスだと言えば良かったのかもしれん。
そんなこんなで予定よりもかなり遅くなった。養老SAで夕食、秦荘PAで仮眠も取る。0時を回ると高速料金がさらに安くなるので、最後は桂川PAで時間調整をして、0時過ぎに帰宅。
2日間の走行距離1000km。