二日目スタート。まずは城端線。これも30年前に乗ったはずだが、ほとんど覚えてない。
0538高岡ー城端0631
二日目は若干時程にゆとりがあったことと天気が回復したので、途中下車の旅を楽しむことにする。
0638城端ー越中山田0648
終点・城端駅では駅前をさっと見て、折り返しの列車に乗る。そして次の駅、越中山田駅で下車。
「かいにょう」と呼ばれる屋敷林を見てみたかったので降りてみた。
公民館前はきれいな花の道。
屋敷林以外は取り立てて見るものもなく、駅のまわりをぶらぶらする。それなりに撮る対象は見つかるものだ。
秋の訪れを感じさせる虫の声と、残暑を語る蝉の声が、交互に聞こえる。
線路まわりの雑草とか、小さな花畑とか、ヘルメットをかぶって懸命に自転車を漕ぐ中学生とか、田んぼのにおい、屋敷林を揺らす風、こういった日本中に見られるごく当たり前の風景がなにか嬉しい。学生時代、日本全国の鉄道を回っていた頃から変わらないものがある。
一方で現代の列車はほとんど冷房化されていて、列車に乗っているだけでは、熱さやにおいなど土地の空気とふれあいこともなく、通り過ぎてしまう。それではあまりに「リアルなのにバーチャル」っぽいので、今回の旅では散策や途中下車は積極的にしたいと思っている。特急や新幹線では味わえない、スローだが実感を伴う旅である。
0708越中山田ー高岡0754
高岡に戻り、次の目標は「万葉線」であるが、昨日乗った氷見線と小矢部川を挟んで並行している区間がある。その間にできた橋を渡って万葉線に入ることにして、まず氷見線に乗る。ついでなので雨晴駅まで行き、本日2回目のプチ途中下車の旅とする。
0808高岡ー雨晴0829
14分の間に改札を出て、構内のコンビニで朝食と昼食を買う。コーヒーも買う。最近コンビニのドリップコーヒーが旨くて良い。高校生の乗る車内でコーヒーとサンドイッチを食う。
雨晴(あまはらし)駅を下車、乗っていた列車が氷見を折り返してくる間の27分間の途中下車である。
雨晴駅と越中国分駅の間には「義経岩」というものがあり、義経一行が道中でにわか雨を逢い、弁慶が大岩を持ち上げて雨宿りをしたという伝説がある。「雨晴」という地名もこの伝説からきたものらしい。地名の由来となる観光資源なのになぜか駅前の案内板にはその表記がなかった。
0856雨晴ー伏木0903
伏木駅から小矢部川にある「如意の渡し」跡を見る。ここは義経一行が渡し船を乗る際に、捕縛令が出されていた義経と見破られそうになったところを、家来の弁慶が扇で義経を叩き、身分を隠したという逸話の場所である(勧進帳などでは安宅の関になっている)。
現在は小矢部川を渡る万葉大橋ができたため、この渡し船は5年前に廃止されている。写真は伏木川の渡船場跡。
渡船場の近くから取り付き万葉大橋を渡る。所々に大伴家持の歌碑がある。これは大伴家持が国守として5年間この地に滞在し、300種を越える和歌を詠んだ(越中万葉と呼ばれる)ことに由来する。これから乗る「万葉線」も大伴家持がらみのネーミングである。
射水市側の渡船場跡。伏木側から歩いて約20分である。
ここからすぐの場所に万葉線・中伏木駅がある。
0948中伏木ー越ノ潟1007
もと加越能鉄道、現在は第3セクターの万葉線初乗車。これで終点の越ノ潟駅まで行って、帰ってくる作戦である。土日であれば、富山新港を渡った反対側にある富山ライトレールに接続するバスがあるのが、この日は平日のため、いったん高岡駅に戻るしかない。
ちなみに1966年までは越ノ潟駅ー富山駅を結ぶ富山地方鉄道射水線があった。つまり高岡と富山はぐるっと富山港をめぐる形で繋がっていたということだ。しかし富山新港開削により、越ノ潟駅から先が海になってしまい、この区間は廃止となった。そして1980年に富山側の全線が廃線となった。現在では越ノ潟駅から対岸へ富山県営の渡船(無料)がでている。また新湊大橋によって繋がっている。
GoogleEarthより、越ノ潟駅付近
2012年開通の新湊大橋。自動車道路の下に歩行者通路がある。この歩行者通路へ行くための無料エレベーターが写真のコンクリート部分にある。富山新港の眺めが良く面白いので何度も往復してみた。
今回はこのまま駅に戻ったが、歩いて橋を渡って反対側から渡船で戻ってくれば良かった。
…と思ったのだが、越ノ潟駅に戻ってみると、架線ハイブリッド列車の試乗会に出くわした。本来は事前申し込みが必要なものだが、空きがあるとのこと。しかもこの日が最終試乗日とのこと。高岡に戻るのが少し遅くなるので考えたが、まぁ富山ライトレールは乗れなくても良いかと思い(これも30年前に国鉄富山港線時代に乗っているので)、乗せてもらうことにした。
1052越ノ潟ー米島口1120
架線ハイブリッド車とは、普通の電車のように架線から集電して走行するが、車内のバッテリにも充電し、バッテリだけの走行も可能な車両だ。この車両は鉄道総研のもので、万葉線を使ってテスト走行しているとのこと。途中の米島口駅までの間に一通りの説明があり、あとは質疑応答の時間。バッテリを満充電すれば万葉線なら1往復半は走行できるとか、バッテリで走るメリットとして、メンテナンスがたいへんな交差点などでの架線を無くすことができるとのこと。架線を無くす云々は全てハイブリッド車にしないと実現できないことだが、ラッシュ時など列車が混み合っている場合にバッテリで走れることもメリットとのこと。普通のユニトラムより高価になり、重量も2t増しとなったりするが、フル走行すれば5~10年で元が取れるとのこと。
乗り鉄としては、車内の多くを占めるバッテリや高運転台が邪魔をして、景色が見えにくいことが残念だったが、最新の試験車両に乗れたことは大いに嬉しかった。
1125米島口ー高岡1156
米島口で試乗は終わり。ちなみに米島口駅前に万葉線の本社や車庫がある。
米島口から高岡駅停留所までが、この列車の最後の試乗会。ここでも余裕で空きがあり乗せてもらう。
1221高岡ー富山1239
再び青春18きっぱーとなり、JRで富山駅へ。ぶらり途中下車の旅を楽しんでいたので、富山ライトレールは単純往復する時間しかなくなってしまった。しかも乗り継ぎ5分。しかも富山駅は新幹線工事で駅舎南口までものすごく時間がかかる…。下車後ダッシュで南口を目指す…。なんとか間に合いそう…。
しかし何ということか、私は富山ライトレールを富山地方鉄道と勘違いしていた。富山駅南口を出た瞬間に間違いに気づいた。北にある富山港を目指す富山ライトレールは…そりゃ北口だわ。もうこの段階で、南北に大きく分断された富山駅を縦断する気力も時間も無く、この駅で高山本線の列車が発車するまでの1時間を過ごすことになった。あぁこんなことなら、高岡からの列車で急いでおにぎりを食べるんじゃなかった…。駅前のどんぶり屋のショーケースに飾られた「白エビ丼」や「きときと鮨」などが恨めしい。お土産屋で「雷鳥の里」を買って、夕食となるおにぎりなどを買って、することもないので、早々に高山本線のホームにならぶ。まぁこれは結果的には良かった。高山本線の猪谷行きのディーゼルカーは2両編成、けっこうな乗車率になったからだ。
1354富山ー猪谷1451
この区間も高校生の頃、神岡線に乗りに行って以来なので30年以上ぶり。
1508猪谷ー美濃太田1844
猪谷駅からの列車は3時間26分、この旅一番のロングランである。途中からけっこう席が埋まり、足が窮屈だった。
実は高山本線猪谷以南は乗ったことがあると思い込んでいたが、どうやら初乗車だったようで、新鮮な車窓が楽しめた。かなりの長時間、川と平行に走る。前日までけっこうな雨が降ったのでダムが放流していて水量が多い。岩を跳ねるような急流の景色あり、ダムの上流では鏡のような湖面に発生した霧がうっすらとただようような景色あり、山の谷筋を利用した水力発電所ありと、見所が満載。窓にカメラをへばりつけるようにして撮影を続けた。
途中、踏切内への侵入があったとかで10分以上の遅れが生じた。当初のアナウンスでは10分接続の岐阜行きには接続しないとのことだったが、延着待ちをしてくれていた。美濃太田から先はそれなりに列車の本数もあるので、一本遅れても帰宅に影響が出るようなことはないが、これが最終乗り継ぎであったりすると冷や汗ものである。良すぎる接続というのも考え物であるかな?
1854美濃太田ー岐阜1931
1944岐阜ー米原2035
東海道本線に入り、列車の本数も両数も増え、比例して列車を利用する人も増える。アーバンである。外は真っ暗となり、することもない。だが、きょうびスマホがあるので、することには事欠かない。
2054米原ー尼崎2225
米原からは12両編成の新快速。相変わらず遅い時間でも混んでいる。
2227尼崎ー川西池田2244
尼崎からの普通列車、これも混んでいる。今回の旅で唯一着席できなかった列車となった。