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今回、金環日食帯の中心で撮影したかったので、仕事を休み、撮影行へ。

撮影場所は、当初は串本を予定していた。橋杭岩の向こうに見える金環日食という構図で撮りたかったのだ。しかし同じように考えていた関西人が多いのか、和歌山県南部の宿泊施設は5/21だけ満室のところがほとんどだった。

一応、大島の民宿を押さえていたが、上記のようにかなりの混雑が予想される上、天候が悪かった場合、当日に条件の良い場所へ移動できない(和歌山南部の道路状況はかなり悪い)ので、3週間ほど前に宿泊地を静岡県の焼津に変更した。もちろん金環日食の中心帯であること、金環の継続時間が長い(約5分、大阪では約2分)という条件を満たしているからだ。焼津からなら渥美半島から房総半島まで数時間で移動できる。焼津はビジネスホテルも多く高速のインター付近の好立地ホテルが余裕で予約できた。

 

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図は国立天文台HPのものに加工

当初は家族全員、仕事や学校を休んで行くつもりだったが、長女が学校のトライやるウィーク初日、さすがに休めず。次女と二人旅となった。まぁ、もし静岡が悪天でも、居残りの2名で金環食帯ギリギリの宝塚での撮影できる‥‥という目論見もあった。

前日(日曜日)の朝、3:43に出発。翌日の日食のためのロケハン‥‥ではなく、この日は富士五湖の観光である。子どもには可能な限り見聞を広げさせたいと常々思っている。201205TZ(Miho)-003

新名神、東名阪、伊勢湾岸道を通り、あっという間に名古屋へ。三ヶ日から新東名へと、新しくできた高速を乗り継ぐ。新東名は快適だが退屈だった。が、清水SAあたりからは富士山がよく見えた。出発から5時間半で御殿場インター到着。

ここから富士山の周りを反時計回りに観光して回る。山中湖では富士山を眺め、花の都公園ではアルキメデスのらせんや溶岩樹形を学び、鳴沢では富士山博物館の見学、西湖では溶岩洞窟の探検をし、ほうとうで昼食、本栖湖では芝桜フェスティバル、続いて白糸の滝、最後は富士宮で富士山本宮・浅間大社の参拝とB級グルメ富士宮焼きそば、そして焼津へ移動と怒濤の観光スケジュールだった。これだけ観光すれば翌日、金環日食の観察ができなくても、まぁ無駄足にはならない‥‥ならないと自分に言い聞かせる。

 

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さて、焼津のビジネスホテルではネットを使い、翌朝の天気チェック。東海~関東の時間帯天気を調べる。どうやら全体的に曇天という当初の予報からは少し好転しているようで、静岡県東部よりは西部の方が、さらに愛知県から西はかなり晴天率が高そうだ。しかし西に行けば行くほど中心帯から外れてしまう。そこで完全な中心帯はあきらめ、晴天率の高い、浜名湖あたりで撮影することした。

翌朝、2時50分起床。普段より20分早く起きる。もう一度晴天率の確認をして、撮影地を浜名湖の西、渥美半島の根元にある湖西市「潮見坂」あたりに定める。寝る前の予定では浜名湖SAで撮影するつもりだったが、湖の内陸寄りなので、もしかしたら霧が発生するかも‥という心配と、日食開始から終了まで3時間も子どもに目をかけにくい状況で、事故が怖かったことと、潮見坂という名前がいかにも天候の良さそうな地名を表しているように感じたこと、少しでも中心帯に近い海沿いの方が良いと思ったことと、浜辺なら子どもを遊ばせておくことができそうだと思ったことなど、まぁ「総合的な判断」ってやつで変更した。あとでラジオで聞いたところ、浜松SAでは1000人近い天文ファンが集まっていて大混雑だったらしい。

4時にチェックアウト。と言ってもカードキーをフロントにある箱に戻すだけである。さっそく高速に乗り、現地到着5:30。天気は晴れである。周囲の砂防堤には20人ほどの観察者。浜まで降りてカメラを構えているのは私だけであった。さて、6時前よりビデオ、周囲の明るさを撮影するためのカメラ、そして太陽を撮影するためのND100000フィルタ付き望遠レンズのカメラをセットして、準備万端。image

しかし、いよいよという6時以降、だんだん雲が厚くなってきて、太陽を隠してしまった。日食開始6:17。太陽は見えない。東からどんどん雲が流れてくる感じだ。雨は降らないものの太陽は見えず。

そのまま約1時間。あと10分で金環日食が始まるというのに、太陽は姿を現さない。雲の切れ間より光が何本も差し、その延長上に太陽があることは分かるのだが、場所が分かったって仕方がない。雲越しにも見ることができない。3年前の悪夢再び、か。虚脱感から砂浜に腰を落として天を仰ぎ、正直、神を恨む気持ちになった。

あきらめて自宅に電話。宝塚では雲はなくマンションの子どもたち総出で観察をしているそうだ。201205XZ-454くやしいが今更どうしようもない。預けてあった遮光フィルタ付きのデジカメで可能な限り撮影するよう頼む。

しかし、しかしですよ。奇跡ってあるんですね。7:22、マジで金環6分前!急に雲の切れ間が広がり、太陽が姿を現しました。周囲から歓声が上がる。私も大人げなく大声で「やった-!」と叫び、そして娘とハイタッチ!

その後は雲がかかることはほとんど無く、第二接触、金環、第三接触まで観察できた。神様スミマセン、こんな感動的な演出のための前フリだったんですね。もうこれからは絶対あきらめません。

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201205XZ-461 ということで第一報のような写真を撮ることができました。第三接触後は、ピンホールで遊んだり、周囲の明るさの変化を楽しみました。

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その後、8時以降はまたまた雲が出始め、日食終了時8:57にはまた雲の向こうでほとんど見ることができなくなりました。まさに奇跡の40分間でした。次は6/4の部分月食と6/6の金星の太陽面通過です。

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父は3日間乗り放題の3dayチケットを、母と長女は阪急版飛鳥日帰りきっぷを、次女は近鉄版飛鳥めぐりフリーきっぷ(子ども用)を使用。

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近鉄飛鳥駅でレンタサイクルを借りてスタート。

この日のために次女は連休前半に自転車の練習をしていたのだった。

 

最初の目的地は高松塚壁画館

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写真撮影不可だったので、HPhttp://www.asukabito.or.jp/html/promenade02.htmlより転載。

写真のように地味な復元壁画が2つある。1つは現状を、もう一つは当時の色彩を再現したもの。

色は現代風に派手にしても良いと思うのだが、いかがか。

ちなみに石棺内の四方を守る、玄武・青龍・白虎・朱雀のうち、朱雀だけ盗掘穴のため再現できなかったとのこと。

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高松塚全景、思ったより小さい。

 

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歴史公園の広場では里山イベントを実施中、さすが5月、鯉のぼりもありました。

歴史公園館前の休憩所で昼食。駅前で買った柿の葉寿司を食べます。

 

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続いて天武・持統天皇陵。

里中満智子の「天上の虹」ファンとしては素通りできません。

が、大して見所があるわけでもなく憤丘に登って写真を撮って終わりです。

 

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続いて亀石。

橘寺とか川原寺跡を横目で見ながら、最大の観光地、石舞台へ。

 

 

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ボランティアの方が説明してくれます。

石は石英閃緑岩とのこと。花崗岩より濃い緑色の岩でした。

 

 

ここまでは順調。しかしここからミスや事件が‥‥!

 

石舞台からちょっとした峠越え‥‥石楠花で有名な岡寺を通過。

石楠花はまさにシーズンだったので見れば良かった‥‥。準備不足でした。

で、万葉美術館あたりから亀形石像物や酒船石を見ようと思っていたのだが、道に迷ってしまい、到着できず。

後から見たら正しかったのだが、案内板が不適切な表示だったように思う。

時間的にも少なくなってきたので、こちらはあきらめて帰路につく。

 

飛鳥寺を回り込むように走り、甘樫丘展望台横の道路を走行中に事件が!

次女が止まりかけによろけ、1mほど下の側溝に転落したのだ。

自転車は側溝に、荷台の荷物は水に落ちびしょ濡れ。カメラもダメになった。

しかし本人はケガ一つ無く。良かった!

 

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その後、聖徳中学校というありがたい名前の学校横を通り、鬼の俎(まないた)、鬼の雪隠という石像物を見る。どちらも石室の一部とのこと。

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最後に吉備姫王墓内にある猿石を見て、駅に戻りサイクリング終了。

長女はまだまだ乗っていたかったとのコメント。普段自転車に乗る機会がないからなぁ。

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電車を一本遅らせ、近くの団子屋でごま団子を食べる。6種類を2個ずつ注文。

その後、お土産屋さんに寄って、飛鳥の小旅行は終了。

 

後半ミスや事件(次女は一歩間違えば危なかったかも)もあったが、致命的なものはなく、なかなかコンパクトな小旅行であった。

10時出発、現地12時到着。現地17時出発、19時帰宅。

休日2日目。今日は単独行です。

子どもたちに電車に乗って京都でも行こうか、と誘いましたが、家にいる方が良いとのたまうので、一人でガッツリと電車旅です。

スルッとKANSAI 3Daysチケットを購入しました。今回は近鉄の未乗区間を地道に拾う旅であります。

朝のラッシュを避けるため、バスで尼崎駅へ。その後、阪神電車から近鉄へ。

大阪平野の端から生駒山の山腹にへばりつき、一気に高度を上げていく近鉄奈良線の車窓は相変わらず素晴らしいです。capture_01

今回、android端末を持っての移動です。現在地を含む地図、しかも縮尺の異なる地図をシームレスに切り替えながら見ることができるってスゴいことです。

生駒駅のホームに飛び込み乗車対策?のセンサーがつけられていました。生駒から学研都市登美ヶ丘駅へ。

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ふたたび生駒駅に戻って、生駒線の電車待ちの時間を利用してケーブルカー乗り場を見てきました。

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生駒線はWOOの取材で途中の一分駅までしか乗っていません。今回初乗車です。image

生駒線は西に生駒山地、東に松尾山などの東生駒にはさまれた谷地です。どちらの山地も六甲山と同じように逆断層によって生じた山で片側が急斜面で反対側が緩やかな斜面となることが特徴です。今回、生駒山について西側(大阪平野側:急)と東側(奈良側:緩やか)の両面を電車に乗って観察したことになります。

てなことを考えながら、GoogleMAPで確認しつつ、車窓を楽しみます。元山上口駅あたりは、山が迫り、それまでゆったり流れていた竜田川も急にせまく深くなり一瞬だけ上流を思わせる急流となります。

その後、後で登る信貴山の反対側の登り口、信貴山下駅、そして大和川を渡って王寺駅に到着です。

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生駒線の王寺駅と田原本線(たわらもと線)の新王寺駅は100mもなく、ほぼ直線上にあります。同じ近鉄なのだから、繋げてくれれば良いのにと思うのは旅行者だけなのでしょう。JR王寺駅というターミナルに両線がすり寄っているだけで、両線をつなぐメリットはないのでしょうね。

さて、また電車待ちです。今回はandroid端末を持っているので、発車時刻も調べられますが、都市近郊の電車だから頻度もあるでしょうし、時間的なゆとりもあるので、まったく調べることをせず、行き当たりばったり旅です。ここではのんびりと駅前の写真を撮っている間に、田原本201203XZ-064線の電車が行ってしまったようです。約20分待ちとなりました。駅前の商業ビルの地下が食堂街になっているので、昼食にします。お好み焼き「風月」があり、店頭に持ち帰りモダン焼きがありましたので、それを買って、駅前のコンビニでビールも買って、新王寺駅のホームで昼食です。私的には南向きのベンチでうららかな陽光を浴びピクニック気分ですが、周りから見たらええ年のオッサンが昼間っからホームでビールかよ!って感じだったでしょう。

さて田原本線はなぜかスルッとKANSAIのカードに対応していないので、ここは別料金となります。あとで乗る信貴山ケーブルみたいに呈示することで乗せて欲しいものです。

終点・西田原本駅まで乗って田原本線完乗です。橿原線の田原本駅とは駅前ロータリーを共有するような関係で、目と鼻の先。これももうちょっとがんばって接続して欲しいところですな。

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201203XZ-068駅前に旧日通らしき建屋がありました。

201203XZ-072線路脇に柵もなく容易に走行写真が撮れてしまうのは驚きです

さて田原本は桃太郎発祥の地ということで町おこしをしているらしく、ゆるキャラも設定されております。駅前を少し歩いたところに観光案内所があったので解説をお願いしました。

・桃太郎のモデルとされている吉備津彦とその弟や父(孝霊天皇)が岡山や香川・鳥取に出かけて鬼退治をした

・鬼の金棒に象徴される鉄文化の争奪だったのかも

・卑弥呼(か壱与)も吉備津彦の姉妹かもしれない

・吉備津彦が育った田原本町こそ桃太郎発祥の地である

てなことを熱心に語っていただきました。

田原本駅から橿原線で橿原神宮前駅へ、今度は南大阪線で道明寺駅へ。201203XZ-080

次は近鉄でもっとも営業距離が短い道明寺線に乗ります。ここもスルッとKANSAI非対応路線なので、別料金となります。

再び大和川を渡り、わずか2駅、2.2kmで終点の柏原駅に到着。柏原駅はJRの駅なので、そのまま3Daysパスでは出場できません。ちょっと心配になりましたが、あっさりJRの駅員さんが精算してくれました。まぁ日常茶飯事なのでしょう。

ここから今度は近鉄大阪線の堅下(かたしも)駅へ歩きます。小雨も降り出しましたが、たいしたこともなく、5分ほどで到着です。堅下駅は改札が地下にあり駅舎はないようです。

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今度は信貴線と西信貴ケーブルに乗るべく河内山本駅へ。

河内山本駅でまたまた時間があったので駅前散策をします。

今回の小旅行は乗り降り自由なので極力改札外に出ることにしています。JRの大回り乗車だと改札外へで出られない反動かもしれません。

河内山本駅は絵に描いたような地方のターミナル駅です。バスターミナルがあり、駅前広場があり、踏切があり‥‥じつに模型的だと思いました。

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小雨が降ったり晴れ間が見えたりめまぐるしく天気が変わるなか、河内山本駅から信貴線へ。信貴線もたぶん初乗車です。

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信貴山口駅からケーブルカーです。生駒山系南端にある信貴山へ、西面の急斜面を登ります。東面(緩)は先ほど乗った生駒線の信貴山下(しぎさんした)駅からバスです。ケーブルカーとバスでは登れる斜面が異なるということでしょう。

ケーブルの終点・高安山は20年ほど前、車で来たことがあるのですが、ケーブルカーに乗ったのは初めてです。

みるみる高度が上がり、木々の向こうに大阪平野のビル群が見えるようになります。

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ここから信貴山の社寺群までバスで5分ほど。ここの近鉄バスも3Daysの圏内なので乗ってみました。

そして信貴山門バス停に到着。せっかく来たのだから、信貴山の社寺群の見学に行くことにします。

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平日とはいえ、ひとけが無く寂しい‥‥

途中には旅館数軒、半閉店状態のお土産屋さん二軒、観光センター一軒‥‥。

日本最古のカンチレバー橋を渡り、社寺群へ。信貴山門バス停から歩いて15分くらいでした。せまい山肌にゴチャゴチャッといくつかのお寺があります。

ここは聖徳太子が仏敵(!)物部氏を滅ぼす際に、寅の年・寅の日・寅の刻に毘沙門天が現れ、秘宝を授けられ勝利したとの由来から、「信ずべき、貴ぶべき山」として信貴山と名付けたとのこと。そのため巨大な張り子の虎をはじめ、虎グッズがたくさん見られます。201203XZ-101201203XZ-102201203XZ-105

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往路と逆順に河内山本へ戻ります。思えば今回の小旅行で往復したのは最初のけいはんな線(学研都市登美が丘)とここだけでした。

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ケーブルカーは往路とは違う車両でした。ケーブルカーは単純に言うと二つの車両が一本のケーブルでつながれていて一方が下がればもう片方が上がるような仕組みです。エレベーターの籠とおもりの関係も似たようなものですね。

 

河内山本から難波へ。意外にもクロスシートの列車が来てちょっと嬉しかったのは鉄道マニアだけでしょうか。

父が春休み休暇だったので、子ども二人を連れて伊丹へ行きました。

車で20分の近所ですが、今回はあえて川西まで歩き、その後JRに乗りました。

 

その理由は‥‥

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これです。

もちろん父は

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昼間からビールです。

そう、そのための運動であり、電車なのです。

 

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大阪王は中華料理のチェーン店ですが、この伊丹店だけは餃子専門店なのです。

メニューは餃子とビールだけ、ご飯すらありません。この潔さ、堪りませんな。

餃子は、王将のそれと似ていますが若干小さめ、皮がウマいです。

開店の11時をちょっと過ぎた頃に着いて、我々が一番客でした。混雑を予想していたので拍子抜けです。

しかし注文の餃子が届く頃には、10席しかない店内は全て埋まり、並んでいる人もいました。

ただ回転が速いので、行列というほどにはなりませんでした。

良い店です。近所にあれば週一で通うでしょうね。子どもたちはウマいウマいと喜んでおりました。

 

その後、長寿蔵で清酒アイスを食べ、近くの造り酒屋の資料館を見学しました。

・伊丹は清酒発祥の地であること

・戦国大名・尼子氏の有名な家臣、山中鹿之助の長男が伊丹にやってきて、清酒業を始めたこと

・江戸時代は大いに賑わい、清酒は下り船で江戸に送られたこと

・伊丹の鴻池が発祥で、財をなして大坂で両替商となり鴻池新田を開発したこと

・鴻池財閥は三和銀行の母体であること

・伊丹清酒の水は丹水(伊丹の丹)ということ、ちなみに灘は宮水(西宮の宮)、伏見は伏水(そのまま)

などなど学びました。

時間外でVTRを見せてもらったり、解説をしていただいたり、平日に行くとゆとりがあって良いですな。

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大学時代の先輩である桜石氏から京阪の株主優待券を安く譲ってもらっていたので、久々に単独でお出かけ。

ちょっとでも元を取るべく始発の淀屋橋から終点の出町柳まで乗り、初めて下鴨神社に行った。201112PL1s-072

風そよぐ楢の小川の夕暮れは禊ぎぞ夏の証なりけり

楢の小川は上賀茂神社から流れてくる川と初めて知った。奈良の小川かと思ってました。

 

平地でも雪が降るかもという寒波の中、ゆっくりと歩き、のんびりとシャッターを切る。カメラは前出のPL-1sとXZ-1。

PL-1sにマニュアルレンズをつけ、構図決め/ピント合わせ/露出合わせ/シャッターという原始的なスタイルで写真を撮った。

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輪橋(そりばし)と光琳の梅(の実) ・ 御手洗川(みたらしがわ)‥‥みたらし団子発祥の地

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下鴨神社の境内には糺ノ森(ただすのもり)と呼ばれる原生林があり、紅葉の名所。

ただ楢の木が病害虫の被害に遭っているとのこと、少々だが募金をしてきた。

冬は昼間から影が長い。上の写真も夕方のように見えるが、実は1時頃。

 

帰りも京阪、今度は京橋で特急を降りて、新しくできた中之島線に乗る。終点・中之島から歩く。

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この時点で3時ごろ。斜めからの弱い光がビルを立体的に浮き上がらせる。

堂島からは地下に入り撮影は終了。そのまま梅田まで歩き阪急に乗って帰った。冬の日は短い。

若いころ方々を旅してました。主にローカル線を撮影するためでした。

雑誌に掲載されたりして,わりといい気になっていたもんです。

鉄道ダイヤ情報25号(1985冬)掲載の写真p-oito1h

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この撮影では雪だまりにはまり込んでしまい、遭難しかけました。そうなんです(^^;)

幸いボーイスカウトで使っていた横長の大きなリュックを背負っていたので、それをテコに這い上がることができましたが、危ないところでした。

 

彼の地へ28年ぶりに、家族を連れて訪ねてみました。雪解け水が轟々と流れ怖いくらいでした。201105hakuba-055

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翌朝、下の娘と一緒に一番列車の撮影をしました。下の娘は多少[鉄分DNA]を受け継いでくれたのでしょうか。 201105hakuba-069

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201103LXa-087201103LXa-090 201103LXa-084 修学 旅行の下見で沖縄に行ってきた。

ゆいレールに乗る機会があったので全線乗ってきた。

ちなみに那覇空港駅は日本最西端の駅、次の赤嶺駅は日本最南端の駅です。

  3家族合同結婚記念旅行が中止になったので、

代替としてうちらだけで日帰りでひらパーへ行ってきました。

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P1010067遊園地は物理的な施設も多く、見るだけならワクテカですが、

基本的に怖がりな私は乗りません。

またコーヒーカップは見た目と裏腹に恐ろしい乗り物であることを知りました。

ダウンです。

昨年春に学年旅行で行った白浜エネルギーランドと同様の

トリック小屋はおもしろかったです。

 

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円筒状の壁紙がくるくる回る部屋。

単純だが、不覚にもまっすぐ歩けない。

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