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ここ数日、平年より気温の高い日(25℃超え)が続いていた。
今日も天気予報は晴れ、予想気温27℃、降水確率午前0%、午後10%。
しかし最後に夕方から夜にかけて雨が降る可能性もある、とも言っていた。
あぁなるほど、だいぶ大地に熱がたまっていて、積乱雲が発生する可能性があるのだなと思った。
そして実際、職場のある猪名川町では、夕方5時過ぎから突風と大粒のにわか雨となった。
https://www.youtube.com/watch?v=qkztdXkPm1w&feature=youtu.be
雨上がりには虹が、そしてコンクリートやアスファルトからは湯気が上がっていたのが印象的だった。
副虹(左側)と主虹(右側)がはっきり見える→
勤務先猪名川町は国史跡指定の多田銀銅山で有名である。
今回「金属を熔かしてみよう」という体験学習会があったので参加した。
大阪文化財研究所の伊藤幸司先生が中心に、銅の精錬・鋳造の歴史、鋳造の実際の手順を見せてもらった。
江戸時代に住友が大坂長堀で精錬・鋳造していた銅は、表面にできる酸化物の亜酸化銅が見事な赤色であることがステータスであったらしい。
今回の実験では、沸騰した塩水に熔けた銅を流し込むという操作でそれを再現していただいた。
銅を溶かすということ自体が1100度以上に熱する必要があり、古代にそれを実現した「るつぼ」の構造を解明する研究の話など、実に興味深く、学問の楽しさに触れることができたように思う。
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鼓銅図録より |
銅の鋳造のようす |
金星は西方最大離角明るさが-4.4等
左隣にあるのが木星で明るさ-1.9等
下にあるのが火星で明るさ1.7等
3惑星が更に接近 2015.10.29
Panasonic DMC-G6
PENTAX-A 100mmF2.8(トリミング)
F2.8 1/8秒 ISO6400
火星と金星が接近し、木星から離れていく 2015.11.1
11.29と同じレンズで撮影したが、木星と火星の視距離(角度)が離れたので、2枚に分けて撮影し合成している。
Panasonic DMC-G6
PENTAX-A 100mmF2.8(2枚の写真から合成)
F2.8 1/8秒 ISO6400
この日は久々に天体望遠鏡を持ち出し観察した。
オリオン座大星雲を観察。ただし図鑑のような色とりどりの絵を期待してはいけない。ぼんやりとした雲のようにしか見えない。
また木星の縞模様(のようなもの)とガリレオ衛星を確認。
しかしRFT望遠鏡のデメリットであるにじみがひどく、見せられる写真にはならず。
早朝からのテスト作りが一段落したので、相棒殿とお出かけ。
花菖蒲を見に大阪の城北公園へ。宝塚の自宅から1時間足らず。しかし駐車場探しにけっこう手間取った。スマホの駐車場検索アプリがなかったらあきらめていたかもしれん。
咲き始めアジサイも可憐で美しい。
城北公園は「城北公園フェア」中で屋台がたくさん出ていた。
相棒殿はフルーツを閉じ込めた氷を使ったかき氷、私は山田牧場の豚串&ソーセージ。
無農薬で育てた豚を使った豚串が700円ながらけっこうガツン!とくるボリュームだ。買ってすぐ脇で立ち食い。塩こしょうのみの味付けがまた肉のうまみを引き出している。
この日一番の収穫はこの豚串であった。花より団子とは良くいったものだ。
このあと、コンビニでアイスコーヒー、力餅の店舗もあったのでおはぎも買い食い。
こういう休日の過ごし方もまた良し。
日曜日の午後から天気が良くなってきたので急遽,小旅行へ。
半日で行けるところは限られているので車で1時間程度の福崎へ行くことにした。元は生野銀山に行くつもりで、その立ち寄り地程度のつもりだった。留守番の子どもたちには「生野に行くの!」とシャレを言って出かけた。だが福崎だけで十分に見るものがあったので、けっきょく生野には行かなかった。
さて私ごとだが、今年50歳になる。今年はいままでの半生を振り返る旅をしたいとも思っていたので、福崎という地は格好である。というのは、福崎は40年ほど前に私の父の会社が研究所をつくり、父がその初代所長として単身赴任した地なのだ。何度も車で連れて行ってもらった。研究所の近くには播但線の線路があり、そこで列車の撮影をしたり、父の単身赴任先を拠点として福崎駅から方々に出かけたりしたものだ。
そして「青春18のびのびきっぷ」が発売された1982年3月、事件が起こった。詳しくは拙筆「青春18のびのびきっぷのお話」をご覧いただきたい。まぁかんたんに書くと偽造キップ扱いをされて、その後、私をモチーフにしたかのような「青春18キップ」の宣伝看板が掲げられたということだ。
事件当日に福崎駅で撮影した写真→
2ヶ月以上前に箱買いして、残っていたジャガイモから芽が出ていた。
ジャガイモやサトイモは「茎」にあたる部分が食用部であり、サツマイモは「根」にあたる部分、タマネギやユリは「葉」にあたる部分が食用部である。
NHKの教育用コンテンツで、サツマイモが生長する過程のものがある。
http://www2.nhk.or.jp/school/movie/clip.cgi?das_id=D0005401311_00000&p=box
以前の記事「放置サツマイモから芽が出た」も参照されたし。
学年末試験期間の土曜日。朝一番に車のコーティングのメンテナンスを行い、そのままお出かけ。
行き先は淡路島。目的はうずしおの見学と震災記念公園の訪問だ。どちらも家族旅行で行ったことのあるところだが、もう10年ほど前になるので、新しい発見もあるかもしれない。
まず、「うずしお」について。うずしおは、太平洋側と瀬戸内側とを結ぶ鳴門海峡の潮流によって生じるものだ。潮流が生じる理由は、明石海峡を通って淡路島をぐるりと回ってくる満潮が、すでに干潮になっている太平洋側に流れ込むことで生じる(干潮も同じ)。だからうずしおの観察は一日の潮位差の大きい大潮の日(新月や満月の前後)を狙うことが大事である。
201708追記 太平洋側と瀬戸内側の干満差は、淡路島東を回る潮というより四国西をぐるっと回ってきた潮との差という新説ありです。
また1日に4回ある時刻的なピークも大事である。さらに観潮船の職員の方に聞いた話では天候も重要で、天候が悪い日は波なのか渦なのか分からなくなるらしい。この日は前日が旧暦の一日(つまり新月)なので、渦潮の観察に適した大潮である。この日のピークタイムは8時前と14時前であり、お昼過ぎを目指して行くことにする。もちろん天気も良好。ということで、この日はすべての条件を満たした観潮日和である。
10時過ぎに宝塚インターに入り、中国道・山陽道・徳島道と進む。明石海峡大橋までのルートは二通りあるが、阪神高速北神戸線を通るより山陽道を通る方が若干安い。ちなみに明石海峡大橋は現在通行料が900円にディスカウントされている。
1時間半ほどで淡路島の南端・淡路島南インター。
ほどなくうずの丘大鳴門橋記念館に到着。~全国ご当地バーガーフェスタ1位グランプリ受賞~の「淡路島オニオンビーフバーガー」を食べ、うずしお科学館へ。500円という入館料ほど学ぶものが無いのは残念。3Dめがねをかけてみる映画も10年前と全く同じだった。鳴門海峡の地形と潮流を再現した立体模型も変わらないが、これは唯一、一見の価値はあるものと言えよう。
201708追記 リニューアルされていて一見の価値ありになりました。
その後、うずしお観潮クルージング船ヘリオスの乗り場へ。これも車で5分ほどで到着。
うずしお観察の観潮船は淡路島側と鳴門側で何社かあるが、このヘリオスは最も小規模で、定員24人である。10年前に乗ったのも同じで、今回もここにしたのは小さな船の方が小回りが利き、うずしおに接近できるからだ。ただ客が集まらないと出港しないのは、6月に行った香住の遊覧船と同じ。今回はあらかじめ電話しておいたので、13時に出港の便があることが分かり、それにあわせて行動を決めた。本当は灘黒岩水仙郷に行ってから14時くらいの船を予定していたのだが、その時刻に他の予約がないとのことで水仙見物の方をあきらめた。
伊毘の港に行ってみると先に二人、あとから二人、そして私と計5名だけの参加であった。一人1500円である。一人でも4000円でチャーターできるらしいので、まぁペイはできているのだろうけど…。
さて、港を出て5分ほどで大鳴門橋の下へ到着。前日は大荒れだったらしいが、この日はべた凪。小さな船だが支えなしで立っていられるほどだ。さすがに渦に近づくと手すりを持たないと怖かったが、撮影は全く問題なくできた。
瀬戸内側から太平洋側へ流れる南流の時間帯である。右の写真では手前の波立っている部分が太平洋側で干潮、奥の暗い部分が瀬戸内側で満潮、目で見て分かるくらい潮位に差がある。この差が時速20キロの潮流となり、その流れと周囲の動かない水との摩擦で渦ができるのだそうだ。
約30分のクルージングであった。これで1500円は安いと思う。
その後は北淡町の震災記念公園へ。
こちらもできた頃に行って以来、久々である。
断層によって敷地内にひびが入ったコンクリートつくりの住宅が公開されていたり、震度7体験コーナーができていたりと、こちらは展示内容が更新されていて、けっこう時間をかけて見学した。
最後に家族へのお土産を購入し、レストランで「淡路島牛丼」を食べた。淡路島牛丼は淡路牛・淡路島タマネギ・淡路米と地元食材を使った最近売り出し中のメニューである。昼食の淡路島オニオンバーガーもこの淡路島牛丼も、当然ながら注文してから作るので時間がかかる。ハンバーガーや牛丼というとファストフードの典型であり、安い早いというのが当たり前のように感じていただけに、それなりの代価を払い、注文してから「待つ」ということに、改めて「これが普通である」ということに気づかされた。