奥武島・オーハ島(沖縄県)

   畳石

 奥武島は久米島の東500mにある周囲4kmの小さな島である。奥武とは「風葬地の離れ島」って意味らしい。沖縄にはよくある島名だ。元々は人が住んでいなかった土地らしい 。人が住むようになってからは、人々は久米島との間の浅い海を水牛に乗って渡 ったり、竹馬のようなもので渡ったりしていた。奥武島にある民宿「あみもと」には当時の写真が掲示されている。現在は奥武島と久米島は海中道路でつ ながっている。海中道路というのは、浅い海を埋め立てて作った堤のことで、渡 るぶんには橋と変わらない。
 この島は基本的にはサトウキビなどの畑しかない。唯一の見所は、畳石海岸だ。畳石とは、大きな柱状摂理の横断面からなる自然の石畳のことで、大きさが1〜2mの5・6角形の石が敷き詰められているかのように見える。ここは海水浴場にもなっており、またキャンプ場でもある(現在はないらしい)。 同行のルンルン夫妻は一泊目のキャンプをここで行った。

   スタック事件

 もう時効だろうから書く。
 1992年の春、友人のSと来たとき、雨だったのでレンタカーで島内を一周し た。そうそう見るべき所もないので、奥武島の先にあるオーハ島を見ようということで、車を奥武島の東の端まで走らせ、ついでに砂浜にまで入り込んだ。
 ハンドルを砂に取られながらもけっこう車は走る。私は調子に乗ってゴーゴ ーなどと煽っていた。だんだん滑る感覚がひどくなってきた。まずいなぁと思っ たときは遅かった。
 車が止まった。
 どんなにアクセルを吹かしても前にも後ろにも進まない。いや、吹かせば吹 かすほど車輪は空転して砂地を深く掘り込んでいった。
 完全に車体の底が砂地に乗った、いわゆる亀の子状態である。
 私とSは困迫した。とにかく車体の下を掘ろうということで、棒切れを拾っ てきて、砂を掘り出した。さらに石や板切れを車輪の下に埋め、車輪の摩擦力を 高めて動かそうとした。雨も降り始め、濡れて実に情けなかった。失敗して失敗して何度か目に、車を揺り動かすようにしてようやく脱出した。
 とにかくもう止めてはならじと、やって来た方向に一目散に走り出した。
 
 もう2度と砂浜は走りません、と我々は固く心に誓って砂浜を後にした。

スタック現場を歩く

   オーハ島に歩いて渡る
 潮が退いたときなら歩いて渡れると前回泊まった奥武島の民宿のおやじさん から聞いていたので、今年はぜひ奥武島からオーハ島に渡ってみたいと思った。 幸い干潮時間は、11:30と絶好だ。10時に出て、タクシーで奥武島へ向か った。
奥武島からオーハ島を見る
スタックの悪夢がよみがえる奥武島東浜で降りる。タクシーには12時に迎え に来てもらうように頼み、いざ渡海。
 オーハ島は奥武島と200mほど離れている。その間は(当たり前だけど) 海で、けっこう流れも速いように見える。2つの島の間の海中には、電柱が直線 状に敷設されていて、何か妙な感じだ。この部分が最も浅い部分だろうと あた り を付けて歩く。干潮のため水位は60cmくらい。これなら余裕だ。10分ほ どで渡りきった。

 オーハ島はアダンの森の中に民家がぽつぽつとある。垣根にはブーゲンビリ アやハイビスカスが咲き、蝶が舞う。巻き貝の食べ殻を大量に捨ててある「貝塚 」がある。でも人の気配は無い。
島の家はどこも花で飾られていた。  集落の中央にある井戸?
 狭い島で、しかもほとんどは森なので、行けるところは限られている。道は 放射状に伸びているが行き止まりが多い。東に伸びる道が比較的長い道だが、こ れとて10分も歩けば行き止まり。行き止まりは墓地で、アダン林の向こうから は波の音が聞こえていた。

 そろそろ戻るべぇと奥武島との境の浜に出てみると、島のばぁちゃんたちが 集まっていた。
 「あつくないですか?」
 ばぁちゃんたちから話しかけてきた。
 琉球ことばが多いため、良く聞き取れないこともあるのだけれど、少し話を 聞かせてもらった。現在、島には5・6人しか住んでいないこと、水道は久米島 から奥武島を通って送られてくること、郵便物や食料は久米島の仲本港から送ら れてくること、電気も電話も水道もあるので生活に不便はないこと、等々。
100人以上住んでいた昔に比べると過疎化が進んでいるのだろうけど、そん なことはお構いなしにのんびりと時間が過ぎているように思う。
 でも島を継ぐ人はいるのだろうか。
オーハ島にて 奥の砂浜が奥武島

 以上、 OH!WOO!! 1993年11月号他より
 2000.06追補

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