宝島
|
この旅行記は1991年の夏に行って来たものを(今頃)まとめたものです。 さて皆さんは宝島と聞いて皆さんは何を想像するでしょうか?キャプテンク ックの登場する冒険小説でしょうか?それとも金銀財宝が埋まっている隠し島? 宝島という島が日本にあるのです。鹿児島県の南の海上に。
宝島を含む十島村は屋久島と奄美大島の間に点在するトカラ列島10島から
なっている。十島村の役場は鹿児島市内にある。島々を結ぶ定期航路は、鹿児島
から村営の「としま丸」が月に8回運行される。1カ月前に運行計画が決まるの
で、十島村を旅するときには十島村船舶課(0992-22-2101)に問い合わせる必要が
ある(時刻表には載っていない)。 鹿児島から南端の宝島までの所要時間は1
5時間。夜の10時に出航して、途中の島々に立ち寄って昼過ぎに宝島に着くと
いうのがパターンのようだ。 運行は宝島折り返し便と奄美大島の名瀬まで行っ
て折り返す便の2パターンがあるようだ。大阪からなら、名瀬まで飛行機で飛ん
で、船というのが手っ取り早くて良いかもしれない。まぁはるばる来たぜ!とい
う感じを味わうには鹿児島から船でしょうが。
十島村の情報収集は全て桜石が行った。船の情報・島の様子、なかなか手に 入りにくいもののようだったが、何とかそろえて、何度も夜中に集まっては旅程 を立てた。 旅行の計画を立てる段階というのは実に楽しいもので、この十島村 のように情報が少ないとなると、ますますワクワクしてくるものがある。
第0日 8/12
「としま丸」は、先に書いたように十島村の村営船である。南北に連なる7 つの有人島と鹿児島港・奄美大島名瀬港を結ぶ。この船一隻に十島村の物流がか かっている。この船がつぶれてしまうと荷物が運べないので、運行は慎重となり 、いきおい欠航や出航日時の変更も多くなる。 運賃は宝島までで2等室6420円 、一等室はその倍。2等室はお約束どおり舟底で雑魚寝スタイル。方々に洗面器 が置いてある理由は‥‥横揺れ減少装置は付いていますが何せ外洋だからねぇ。 食事は自動販売機のカップ麺か食堂での食事となるが、食事は出航後に予約に行 かないといけない。1000円くらいしたような‥‥。 お盆の時期なので混雑 が予想されたが、印象に残っていないことを考えると、おそらく十分空いていた のだろう。すぐ寝る。
船は諏訪之瀬島・悪石島・小宝島と順調に寄港し、予定より早い正午に宝島 に着いた。 島に着き、トカラ荘と描いてある軽バンに乗り込み宿へ。 宝島は南側が山地になっていて、大した平地もなく海に落ち込んでいる。反 対の南側はなだらかな斜面となり、集落はこの斜面の中程にかたまって形成され ている。斜面を下ったところに前寵港がある。東の端には宝島港があり、波や風 などで前寵港に入港できないときのみ、こちら側に船が着く。
集落には、診療所・郵便局・学校・高齢者コミュニティセンター(略してコ
ミセン)・そして島唯一の売店(その名もファミリーマート)がある。 診療所
は月に1回(だったかな)、鹿児島から医師がやって来て診療をする。医師の常
駐は無いが島民の中で看護婦みたいな人はいるようだ。郵便局は未だオンライン
化されていなかったが、準備はしていたようなので、今頃はカードも使えるよう
になっているだろう。コミセンは、四方から道が集まってくるようなつくりにな
っている。おそらく昔からの集会場なのだろう。役場の出張所(船の切符売り場
)もジュースの自動販売機もある、島の中心部だ。ちなみに自動販売機があった
のは、ここと港と港近くの砂利工場の3カ所のみだった。
集落へ戻る。田は既に刈り取りが終わっている はじめは休耕田かと思った
が、二期作も可能なこの島では8月には刈り取りが終わっているようだ。
夕食時の食堂で港から宿まで送ってくれた2人に会う。てっきり宿の人かと 思っていたのだが、実は宿泊者だった。なんでもほぼ毎年、宝島に来ては一月く らいのーんびり過ごすのだそうだ。聞けば高校の先生だとか。先生達はトカラ荘 の別館で寝泊まりしているとのこと。ビールを飲んですぐ寝る。後から聞けば、 この夜が唯一のきれいな星空だったという(波乱のスタートなのだ)。
第2日(8/14)
小宝島は宝島の北東15kmの海上に浮かぶ周囲3kmの小さな島である(ホンマ
にこれくらいなら占領できそう)。人口は42名。一時は過疎が進んで、無人島に
なりかけたという。昨年、児童文学「モモ」の感想文を書いた女の子がNHKで
取り上げられ、有名になった。
われわれが小宝島に着いてしばらくすると、昨日乗った「としま丸」がやっ
て来た。我々を宝島で降ろしたあと名瀬まで行き、折り返し今朝、名瀬を出航し
てやって来たのだ。実は我々の小舟とほぼ同時刻に宝島を出航している。
アダンの実は遠くから見るとパイナップルの実に似ている。近づいてみると 、トウモロコシの粒を親指くらいの大きさににしたものがくっついてできている 。一粒ちぎって食ってみたが‥‥まずい。 小さな港の横に湯泊温泉がある。脱衣所もない、コンクリートで固めただけ の質素な露天風呂だが、気持ちがよい。 湯は熱いあつい。港に潜ったり風呂に 入ったり。 さらに進むと、朽ちた自動車がいくつか放置されている。粗大ゴミもある。 おそらく島の生活で要らなくなった物はここに捨てられるのだろう。さすがに潮 風の影響で金属はよく錆びていて、自動車などぼろぼろだ。しかしプラスチック 類はどうするのだろう。 さらに進む。発電所の近くに海水を淡水に変えるプラントがある。簡単に中 に入れるが良いのだろうか? 小宝島港のちょうど反対位置に城之前の漁港があり、風化した岩石が集まっ た岩山群がある。 島の西側には珍しく畑があった。草取りをしていたおばさん に聞いたところ落花生だという。砂地で作れる作物は限られているのだなぁ。
さて、島内一周も終え、宝島へ戻ることとなった。台風が近づいているとの
こと。風が出始めた。おやじは、我々を送ったあと、船を安全な奄美大島へ移す
と言っているから、これは大ごとなのだろう。 帰りの舟は、行きどころの騒ぎ
ではなくて揺れる揺れる。しかも漂流物との戦いも始まった。おやじは巧みな繰
船で漂流物を避けて行くが、たまにゴツ!と当たる音も聞こえた。 舟と同じく
らいの大きな流木が横1m位を通過していったのを見たときにはゾッとした。
午前中、島唯一の海水浴場へ行く。島の北にある前寵港と東にある宝島港を 結ぶ道路は立派なアスファルト道路だ。これをてくてく10分くらい歩くと海水 浴場だ。島の周囲は 珊瑚礁になっているので、無理して泳ぐと尖った硬い石灰 岩でざっくりだ。周りを海で囲まれた島だからといって、どこででも泳げるわけ ではないのだ。 宝島では入り江になっているところに砂を入れ、海水浴場を作 ったという。子ども達が安心して泳げるようにするためだそうだ。ほかにも南国 風の東屋を建てたり(日陰が心地よい!)、淡水の出るシャワー室を作ったり、 他に力を入れるところが無いせいもあるが、けっこう努力が認められる。 海水 浴場では、アベックと青年の計3名がテントを張ってキャンプをしていた。公共 の水道があるのはここと港ぐらいのものなのだろう。 昼飯を食いに戻り、再び島内散歩に出かける。この島では平家の落人伝説が あり、独特の形状の墓がある。平田さんという名字も多い。 また立ち入ること はできなかったが沖縄文化のような聖地が要所要所にあるようだ。 島内一周道路を通って、島の南の大間港へ。鍾乳洞のロケハンもする。 続 いて島の西にある大原牧場を通って大瀬崎まで行こうとしたが、雄牛が近寄って きて威嚇するので(しているように見えた)、怖くなって引き返す。 夕食前、前寵港の西の岩場で夕景の写真を撮る。放牧されている小ヤギは鳴 きながら駆け寄ってくるのであった。 隣の民宿は四国学院大(だったかな?)のゼミ一行の借り切り状態になって いるようだ。ゼミの中心は太った黒人の先生で、われわれはムバラク大統領に似 ているので、勝手にムバラクさんと呼んでいた。本当の名前は忘れた。ティナさ んは、その先生と研究分野が同じなのか、意気投合して、よく話をしに行ってい た。 台風のため、としま丸の鹿児島出航が延期になったとのこと。宿にはとしま 丸が来るまで宿泊延長をお願いする。
2〜30mくらい進み、もうこれ以上体が入らんという状態になった。途中 、光が漏れているところがあり、小柄なティナさんが入り込んで、外へ出る。な んでも出た場所はすり鉢の底のような地形でうっそうと植物が生い茂っていたら しい。それってトカラハブの絶好の住処やなぁ。 無事、鍾乳洞から脱出。私は心配性なので落盤とかありやせんかと冷や冷や していたので出てからほっとした。しかしまぁ石灰岩地形ではよほどのことがな ければ落盤なんて無いわな。民宿に戻って昼食。 昼からは、民宿の車を借りてイマキラ岳の頂上へ。この車、かなり痛んでい て、離島のお約束・ナンバー無しは当然として、バンパー無し・サイドミラー無 し、床下には穴が開いていて運転しながら路盤の状況が確認できるという代物だ 。ドアの開け閉めにも工夫がいる。強く閉めたらドアが取れそうだし、弱かった ら閉まらない。開けるときは1度軽く引いてから開ける、等々。 標高292mのイマキラ岳には、無線中継所・風力発電所・三角点・展望台 がある。風力発電所は、遊園地の施設か、近代美術のモニュメントかといった形 をしている。 展望台に登る。宝島の周囲が見渡せる。風が非常に強い。風力発 電設備があるくらいだから当たり前か?いや台風が接近して来ているのだろう。 夕食後、海水浴場へ夕景を撮りに行く。東の空に月が見えた。周りの雲は早 い。風が強くなってきたのだろう。3人居たキャンパーはシャワー室内でテント を張っているようだ。 帰り道、集落の方を見ると学校の体育館の電気がついている。リクレーショ ン活動の日なのだそうだ。4人でおじゃましてバドミントンをする。
大間港周辺で泳ぐ。きれいな珊瑚礁だ。持ってきたシュノーケルを交替で使 う。 コミセンでとしま丸の乗船券が発売されるのだが、明日のとしま丸は来ない ことが貼り出されてあった。勤め人の河田氏はズンドコに陥る。さっそく職場に 連絡だ。私は‥‥まぁ、夏休みということで余裕をこいていた(まだ大丈夫)。 夜、島の祭りが行われる。田の神祭りと聞いていたが、後で調べるとそれは 旧暦の8月16日ということで、たぶん我々が参加したのは、夏祭りだろう。コ ミセンの広場に大きなビニールシートが敷かれていて、みんな車座になって酒を 酌みあっている。若い郵便局長が島のまとめ役らしく、やたら酒を接いで回って いる。我々のところにも、やってきて、観光地の話や、嫁が来ない・若い者が出 ていってしまうなどの離島のしんどさなど語る。自分も鹿児島に出ていたが、こ の島に戻って島を盛り上げるとも言っていた。 宴が始まって1時間少し経った頃、いきなり踊りが始まった。音楽のことは 解らんのだけど、祭り囃子と南方系のリズムを合わせたような感じだなぁと思っ た。今になって思うと沖縄のエイサーにも似ているような。 踊り&カラオケ(!) は12時まで続く。宝島に来てから早寝の習慣がついていたので、最後は眠た かった。
TVを見ていると見事に宝島にめがけて台風が進んでくる。
郵便局へ行き、貯金を引き出す。しかし予想外のことなので、金が足りない 。実家に電話して郵便為替で金を送ってもらい、事なきを得た。 昼も夜も麻雀 をする。他にすることはない。 こんな旅もまぁいいさ(自棄糞)。
赤岩までドライブ。島の東海岸では、赤色の石灰岩の巨石がいくつも横たわ っているのだ。 松下さん(だったかな)に借りていた麻雀パイを、お礼のビールを持って返し に行く。 トカラ荘のおばちゃんに会計を済ませてお別れを言う。 13:30宝島出航。台風が去ったとはいえ、海上はまだ波が高い。かなり揺れ たらしい(私は寝ていたので知らんかったが)。帰りで揺れるのだから、宝島ま で来るときの揺れの大きさってどんなだったのだろう? 翌朝、3時過ぎに鹿児島港到着。西鹿児島駅で始発の列車を待つ。予想外の 長期滞在でJRの切符の有効期限が切れてしまっていた。
宝島は、その名前から財宝伝説があったり、平家の落人伝説があったり、ロ
マンあふれる島であります。 しかし一方で、現実に人が住み、離島のしんどさ
を抱える素朴な島でもあります。 そんな宝島で、十日あまりの間、探検気分を
味わい、自然に触れ、人と語り、台風まで遭遇しました。ほんの一部分ではあっ
ても離島生活を体験できたことは、貴重なことであったと、今思います。
|